
嘱託社員として働きながら、行政書士試験合格を目指して日々奮闘しています。
今日は憲法学習の締めくくりとして、司法権から財政、そして憲法総論までを一気に駆け抜けました。
今日で、憲法はおわり、明日から商法になります。
これはこれでいいのですが、民法と行政法の復習が手薄になっています。
どうにか挽回していかないといけないですよね~。
直前期に暗記する項目とか、抜け漏れの内容に、洗い出していかなくてはいけませんね。
皆さん、今日もお疲れ様です!憲法の学習もいよいよ大詰め、最後のセクションである「裁判所(司法権)」「財政」、そして最初にあえて残しておいた「憲法総論」を終えることができました。これまでの学習が一本の線でつながるような、充実した時間になりました。
裁判所なら何でも解決してくれると思いきや、実は「司法権の限界」というものがあるんですね。司法権が行使されるのは、あくまで「具体的な争訟」に限られます。警察予備隊の事例のように、まだ何も起きていない抽象的な段階では裁判所は動けません。これを理解すると、法律が社会の中でどう機能しているのかがよく見えてきます。
また、板まんだら事件のように、宗教の教義そのものの是非などは法律では裁けないというのも納得のルールです。一方で、司法権には「憲法上の限界」や、統治行為論(砂川事件や衆議院の解散など)といった高度に政治的な判断については裁判所が判断を避けるという考え方もあり、非常に奥が深いと感じました。
特に「部分社会の法理」は興味深いですね。大学の単位認定などは学内の自律性に任せるべきですが、学位授与のように一般市民としての権利に大きく関わることは裁判所の守備範囲に入る。この絶妙なバランス感覚こそが法の知恵なのだと感銘を受けました。
続いて学習した「財政」の分野では、私たちが納める税金がどう管理されるべきかを学びました。「租税法律主義」、つまり税金を課すには必ず法律の根拠が必要だという原則は、民主主義の根幹ですね。
予算についても、内閣が作成し国会で審議されますが、減額修正だけでなく増額修正も可能だという点は実務的で面白い発見でした。また、公金の支出制限において「慈善・教育・博愛の事業」への支出が厳しく制限されている背景に、不正や癒着を防ぐという明確な意図があることを知り、憲法のガードの固さを再認識しました。
最後に戻ってきた「憲法総論」。ここでようやく「立憲的意味の憲法」という言葉に出会いました。よく耳にする「立憲民主党」の「立憲」という言葉が、権力を縛り、国民の権利を守るというこの重い意味を持っていたのだと、64歳にして初めて腑に落ちた気がします。少しお恥ずかしいですが、学ぶのに遅すぎることはありませんね。
天皇の国事行為についても、7条の10項目をしっかり暗記するようにとのことで、ここからは気合の入れどころです。嘱託の仕事と勉強の両立は体力的にも楽ではありませんが、新しい知識が頭に入る喜びは、何物にも代えがたい活力になります。憲法を終え、次はいよいよ行政法の深い海へ戻ることになりそうですが、一歩ずつ進んでいこうと思います。
問1:具体的な事件が存在しない場合であっても、ある法律が憲法に違反するかどうかを最高裁判所が抽象的に判断することは認められるか?
解答:×
解説:日本の裁判所は「具体的な争訟」を前提とする「付随的違憲審査制」を採用しています。警察予備隊訴訟の判例にある通り、具体的な紛争がないのに抽象的に法律の合憲性を判断することはできません。
問2:租税以外の公課であっても、その性質が特定の役務に対する反対給付ではないものについては、憲法84条(租税法律主義)の趣旨が及ぶ場合があるか?
解答:◎
解説:国民健康保険料などのように、租税ではない名目であっても、強制的に徴収されるものについては憲法84条の趣旨が類推適用されるというのが判例(旭川市国民健康保険条例事件)の考え方です。
問3:予算の修正について、国会は内閣の提出した予算案を減額して修正することはできるが、増額して修正することは認められていないか?
解答:×
解説:予算の修正について憲法に明文規定はありませんが、一般的には減額修正も増額修正も可能と考えられています。ただし、増額修正については、内閣の予算作成権を侵害しない範囲に限定されるという解釈が通説的です。